横浜地方裁判所 昭和36年(レ)45号 判決 1963年7月15日
控訴人 田代政義
被控訴人 田代弥一
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一 控訴の趣旨および被控訴人の主張
控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を、被控訴代理人は本件控訴を棄却するとの判決を求めた。
二 当事者双方の主張した事実
(一) 被控訴代理人の述べた請求原因
1 被控訴人は、昭和二一年四月五日、訴外石腰利勝から、同人が被控訴人所有の立木を伐採したことにより被控訴人に対し負担するに至つた損害賠償債務の代物弁済として。別紙目録<省略>記載の各農地(以下これを本件土地という。)を譲り受け、現にその所有者であるところ、控訴人は、昭和三〇年および昭和三一年度の稲作に際し被控訴人に許されて無償で本件土地を耕作したが、使用権原のなくなつた昭和三二年以後も本件土地を耕作使用して現にこれを占有している。
2 本件土地については、控訴人が右石腰から売買により所有権を取得した旨の横浜地方法務局藤沢出張所昭和二一年一一月二一日受附の所有権取得登記がなされているが、これは所有権移転の実体と合致しないものである。即ち、上述のように、真実は本件土地所有権は右石腰から被控訴人が譲り受けたのであるが、当時は、自作農創設特別措置法の施行が迫るなど農地関係法規強化の情勢にあつたうえ、被控訴人は東京から本件土地所在地への帰住の日が浅かつたので、自己名義の所有権取得登記をすることにより将来農地買収を受けるなど不利益の事態の生ずることを虞れ、当時本件土地所在地の在村者であり、実弟でもある控訴人に登記簿上の所有権取得名義人となることを依頼してその承諾を得、右石腰の了解も得たうえ、昭和二一年四月五日付右石腰、控訴人間の売買契約書を作成し、これを登記原因証書として右登記をしたものである。
よつて、被控訴人は控訴人に対し、被控訴人が本件土地所有権を有することの確認、本件土地の引渡および本件土地所有権の移転登記手続をなすことを求める。
(二) 控訴人の抗弁に対する答弁
時効の抗弁は時機に遅れた主張であるから却下されたい。仮に右主張が認められないとしても、被控訴人は昭和二一年四月五日右石腰から本件土地を譲り受けると同時にその引渡をうけ、以来自ら耕作して占有してきたものであり、控訴人は独立して本件土地を耕作占有したことはなく、被控訴人の耕作にあたり被控訴人の家族とともに農作業の一部を手伝つたにすぎない。しかして控訴人に対し無償耕作を認めた昭和三〇年および昭和三一年の水稲栽培期間も所有者たる被控訴人のため代理占有したに止まり、右期間終了後は不法にこれを占有している。従つて取得時効の要件は存在していないから、時効の抗弁は失当である。その他の抗弁もこれを争う。
(三) 控訴代理人の述べた請求原因に対する答弁ならびに抗弁
(請求原因に対する答弁)
被控訴人が被控訴人主張の経緯で本件土地所有権を取得したこと、控訴人が現に本件土地を占有していること、本件土地について被控訴人主張のような登記の存することは認め、その余の事実は否認する。事実は次のとおりである。即ち、
1 本件土地は右石腰から譲り受けた被控訴人から、昭和二一年四月控訴人が贈与をうけて所有権を取得したものであつて、その登記手続に際しては中間省略により、右石腰から直接控訴人に対し売買名下に所有権移転登記手続をしたものである。
2 仮に単純に贈与を受けたものでないとしても、控訴人は右同月に被控訴人から近々実施される農地解放に際しては本件土地を第三者の手に渡さぬよう努めるとともに、被控訴人が経済的必要に迫られたときは本件土地の価格を限度として応分の経済的協力をするという負担を附して贈与を受けたものであり、控訴人は右負担の約に従い、農地買収に際しては本件土地の確保に全力を傾注して協力し、又、昭和二二年四月求めに応じて金一、〇〇〇円を被控訴人に交付し、更に同年夏、金二、五〇〇円相当のアンモニア肥料を被控訴人に譲渡し、右合計金額は当時の本件土地価格を超えているから、控訴人は負担附贈与により負担した義務の履行を完了したので本件土地の所有権を取得したものである。
(抗弁)
1 (時効取得)控訴人は昭和二一年四月五日以降所有の意思をもつて本件土地を平穏公然に耕作占有しており、当初善意無過失であつたから、一〇年間を経過した昭和三一年四月四日の経過とともに時効完成し、本件土地の所有権を取得した。
2 (不法原因給付)被控訴人主張のように、被控訴人が右石腰から本件土地の譲渡を受けた際、自作農創設特別措置法の施行をひかえていた関係上控訴人の名義を借用したにすぎないとするならば、当時においては昭和二〇年法律第六四号改正農地調整法の改正審議の際、それより五ケ年内に農地は開放され、開放の対象とされるのは不在地主の土地および在村地主の一定町歩以上の土地とされることは明らかとなつておつて、農民組合等の監視のため、被控訴人が在村農業者となることはなかなか困難であつたので、被控訴人は予想されていた自作農創設特別措置法の適用による農地買収を免れる目的で控訴人に本件土地の登記名義を取得せしめ、これを引渡したものというの外はない。即ち被控訴人は不法な原因のために給付したものであるから、被控訴人は控訴人に対し登記の移転手続および土地の引渡を求めることは許されない。
3 (権利の自壊による失効)控訴人は昭和二一年以来本件土地を耕作し、昭和二一年に始まる農地解放に際しては終始、本件土地の耕作者として取扱われ、本件土地が控訴人の自作地であるとの認定を受けた故に買収の対象となることを免れ、以来食糧供出割当を受け、その間所有権の帰属については勿論、耕作ならびに収穫物の処分についても被控訴人から異議を述べられたことがなかつたことを考えると、十数年もの間被控訴人は所有権を行使せず、通常人ならば誰しも、被控訴人は既にその権利を行使しないものとの確信を有するにいたつている状況であるから、かかる場合には被控訴人の権利は自壊作用により失効したものというべきである。
4 (耕作権)控訴人が本件土地を現に耕作しているのは、被控訴人が農地解放による買収を免れる手段として登記簿上控訴人の所有名義を借り、その代償として賃料を免除して耕作権を与えられたものであり、そうでないとしても、被控訴人の所有である限り無賃耕作を認める趣旨の特約附の使用貸借として耕作権を認められているものであるから、控訴人には本件土地の引渡義務はない。
5 (権利の濫用)前記3に於て主張したように、控訴人の耕作に対し十数年間異議を述べず、その所有権確保の必要上控訴人の耕作を許容してきた被控訴人が、返還を受くべき特段の事由もないのに拘らず所有権に藉口して引渡を求めることは、到底誠実な権利の行使ということはできず、権利を濫用するものであるから被控訴人の請求は許されない。よつて被控訴人の請求はいずれも失当である。
三、証拠<省略>
理由
被控訴人が昭和二一年四月五日、本件土地を訴外石腰利勝から同人の被控訴人に対する損害賠償債務の代物弁済としてその所有権を譲り受けたこと、控訴人が本件土地を現に占有していること、本件土地について被控訴人主張のような登記が存在し控訴人が登記簿上所有名義人となつていることは当事者間に争がない。
控訴人は、本件土地は被控訴人から贈与を受けたものであり、仮にそうでないとしても負担附贈与を受けてその所有権を取得したものであると主張するので判断するに、成立に争のない甲第一号証が被控訴人の手裡に存する事実、成立に争のない甲第三、第五、第六号証、原審および当審における被控訴人本人尋問の結果によつて成立を認め得る甲第二号証、当審証人樋田祐義、同平本藤一の各証言によつて成立を認め得る乙第二号証の二、三、原審証人石腰利勝、同石井忠利、原審および当審証人田代謙造、当審証人田代洋一の各証言、原審および当審における被控訴人本人尋問の結果を総合すると次の事実を認定することができる。
即ち、「被控訴人は昭和二〇年一〇月東京都において軍属を解かれ、間もなく本件土地所在地である茅ケ崎市芹沢三、一三三番地の父謙造宅に帰住したが、昭和二一年四月頃はいまだ農耕に専念するにいたらず、足繁く東京都との間を往復し、いずれが生活の本拠であるか明瞭でないような状態であり、一方控訴人は終戦直前、手指を負傷して東京都から茅ケ崎に帰住したが、昭和二一年四月頃は妻子を高座郡綾瀬町吉岡に置いて、父謙造宅敷地内の小家屋に居住し、右吉岡との間をひんぱんに往復しながら父謙造らと共に謙造を手伝つて農耕に従事している状況であつた。
昭和二一年四月五日、被控訴人は右石腰から、同人が被控訴人所有の立木を伐採したことに対する損害賠償の代りに本件土地ほか一筆の土地を譲り受けて所有者となつたが、折から農地所有については農地関係法規強化の情勢にあり、後に施行された自作農創設特別措置法の施行も予想され、不在村地主らは一般に農地買収について不安を覚えていたので、いまだ東京都から帰住の日浅く、又近隣の一部の者から不在地主だという評判もうけていた被控訴人は、自己名義で所有権取得登記をすることにより将来農地買収を受けるなどの事態の生ずることを危虞し、これを回避するには当時父謙造とともに農耕に従事しており、弟でもある控訴人の名義を借用して登記するにしかずと考え、控訴人および右石腰の了解を得て、便宜右石腰控訴人間の同年四月五日付不動産売渡証(甲第一号証)を作成し、これを登記原因を証する書面として同年一一月二一日被控訴人主張の控訴人名義の所有権取得登記をした。
しかして、本件土地の耕作については、上述のように被控訴人は当時東京都にしげく足を運び、農耕に専念するにいたつておらず、一方控訴人は東京都より帰住して生活も安定せず、手指負傷のため将来も農業で生計を立てるほかなかつたので、被控訴人は控訴人の生活を支援するため父謙造夫妻を中心とする田代一族の者としてこれに本件土地の耕作に従事することを許し、父謙造など芹沢三、一三三番地に居住する田代一族の者も共にこれを耕作し、昭和二二年頃から被控訴人も農耕に従事し、以来本件土地は控訴人を主として被控訴人など芹沢三、一三三番地に居住する者が共にこれを耕作し、その収穫は主として控訴人の費消にあてられていた。昭和三一年一月控訴人、被控訴人らの母ヱイの死亡後家族間に紛争を生じ、同年水稲期には控訴人が強硬に本件土地の所有を主張したため、被控訴人は争を避けて事実上控訴人の本件土地単独耕作を認め、翌三二年にも同様単独耕作を認めたが、昭和三三年以降控訴人に対して本件土地の返還を求めて現在にいたつている。」
右認定に反し控訴人の前示主張に副う原審および当審証人田代寿美、同田代春光、同樋田祐義、同平本藤一、当審証人田代隆義の各証言、原審および当審における控訴人本人尋問の結果は採用できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。
次に控訴人の抗弁について判断する。
1 (時効取得)被控訴人は右抗弁は時機に遅れた主張であるから却下されたいと申立てるが、第一審以来の訴訟の経過に徴すると、右抗弁は時機に遅れて提出されたものであるが、故意又は重大な過失によるものとも、また訴訟の完結を遅延せしめるものとも認められないから、右の申立は失当である。ところですでに認定したように、昭和二一年四月以後控訴人が本件土地の耕作に従事したことは認められるが、同時に父謙造およびその家族、被控訴人の家族も共にこれを耕し、昭和二二年以降は被控訴人自身も耕作に従事し、以来本件土地は控訴人が主として耕作を担当していわば田代一族の共同耕作の用に供せられたものであつて、いまだ控訴人が単独で所有の意思をもつて占有していたものとは認め難いのみでなく、控訴人主張の時効の進行開始の日から未だ一〇年を経過しない昭和三一年一月頃(母ヱイの死亡直後)からすでに控訴人、被控訴人間に本件土地について争を生じたのであるから、おそくとも当時取得時効の要件である平穏性は失われたものというべく、したがつて、この抗弁は採用するに由がない。
2 (不法原因給付)控訴人は被控訴人が昭和二一年当時本件土地について控訴人名義に登記をさせ、控訴人に土地を耕作させたのは、施行を予想された自作農創設特別措置法による農地買収を免れる目的で不法の原因に基いてした給付であるから、控訴人に対し登記移転手続および土地の引渡を求めることは許されないと主張するを以て、こ点について案ずるに、農地買収を免れる意図でした控訴人名義の所有権取得登記がなされたのは昭和二一年一一月二一日であることは前示認定のとおりであるところ、これは自作農創設特別措置法の施行期日(昭和二一年一二月二九日)前のことであるから、この所為をもつて直接当時施行されていた法律の適用を免れるための行為であつたとはいえないうえ、同法の施行をひかえてこの適用による農地買収を回避する目的にいずるものであつても、民法第七〇八条にいう不法の原因のためになされた給付とは、その立法趣旨から考えて、国家政策的立場よりする公益規定・強行規定に違反するというだけではなく、そのうえ更に時代の倫理思想に根ざす社会道徳上の要請に違背することをその内容とするものというべきであるところ、自作農創設特別措置法はその第一条に定めてあるように、耕作者の地位を安定し、その労動の成果を公正に享受させるという国家政策的立場から農地買収を企図したものであつて、社会の倫理的要請に根ざす要素は稀薄であるから、このような法律が施行されるに際し、これを免れる目的で所有権帰属の実体に反する他人名義の所有権取得登記をなし、又は前認定のような事情で農地の耕作に従事することを許したとしてもこれをもつて直ちに民法第七〇八条にいう不法の原因に基くものということはできない。
3 (権利の自壊による失効)控訴人は、被控訴人は昭和二一年以来本件土地についてその所有権を行使せず、通常人ならば誰でも被控訴人は既にその権利を行使しないものと確認するにいたつている状況であるから、被控訴人の権利は自壊作用により失効したものであると主張するが、民法が消滅時効の制度を定め所有権およびこれに基く物上請求権は時効によつて消滅しないものとしている趣旨から考えると、所有権について権利の不行使による自壊な法的効果を認めることは不可能であるから、控訴人のその主張も亦失当である。
4 (耕作権)控訴人は、被控訴人が農地買収を免れる目的で控訴人の登記簿上の所有名義を借りた代償として、賃料を免除して控訴人に耕作権を与えたものであり、そうでないとしても、被控訴人の所有である限り無償耕地を認める趣旨の特約附使用貸借として耕作権を認められたものであるから本件土地引渡の請求は失当であると主張するけれども、すでに認定した事実と原審および当審証人田代謙造、当審証人田代洋一の各証言、原審および当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、昭和二一年当時前記田代一族の者として控訴人に本件土地の耕作に従事することを許し、その後も田代一族の共同耕作の用に供されていたとはいえ控訴人が主として耕作に従事していたのは、控訴人が手指を負傷して帰住して来たけれども、控訴人の所有田畠もなく、農業以外に生計のよるべきところがなかつたため、当時はいまだ被控訴人が本格的に耕作に従事しいてなかつたこともあつて恩恵的に控訴人に本件土地の耕作に従事することを許しその収穫を主として控訴人の費消に委ねたものであることが認められ、控訴人主張の如き趣旨で耕作を認め、又はそのような約定があつたことは認定できず、他に控訴人主張事実の立証に添う証拠はないから、この点についての控訴人の主張も排斥を免れない。
5 (権利の濫用)控訴人の権利濫用の抗弁について考えると、前認定のような事実関係の下において本訴提起を以て権利の濫用ということは到底できないから、右抗弁は採用しない。
以上の認定によれば、被控訴人は本件土地の所有権を有するものであり、控訴人は本件土地を権限なく占有している者であり、又控訴人名義の所有権移転の実体に一致しない所有権取得登記がなされているのであるから、控訴人に対し本件土地所有権の確認およびその引渡を請求し、その所有権の帰属と一致させるために所有権移転登記手続を請求する被控訴人の本訴請求はいずれも正当であるから、これを認容した原判決は相当であり、控訴人の控訴は理由がないので民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 久利馨 若尾元 田中昌弘)